アフリカとの出会い65
   「生きる力とケニアの子ども達」    

アフリカンコネクション    
竹田悦子 訳


 この7月から教育現場で仕事をするようになり、「生きる力」という言葉をよく聞くようになった。その背景は日本の子供たちの生きる力が乏しくなってきていることへの懸念である。そもそも「生きる力」とはどんな力のことなのだろうか?私が真っ先に浮かぶのは、ケニアの子供たちのそれだ。ケニアの子供たちのあふれるばかりの生きる力はどこから生まれてくるのだろうか?

 日本の子供たちの生活スタイルでは、現代の子供たちは勉強が中心であることが多い。唯一自由な時代であるはずの幼児時代でさえ、習い事を掛け持ちしたりして忙しかったりすることも多い。子ども達がそれぞれの発達段階を十分に生きず、将来役に立つかもしれない何かの準備に時間を費やしている生活では、人間形成に欠かせないさまざまなことを体験出来ないだろう。

 自立出来る人間として育つには、生活して行く上で必要な生活術を体験する必要があると思う。もちろん学校の勉強だけではない。体験による裏付けを持たない知識ではなく、生活の中から学び取った知恵だ。自然の中で衣食住のすべてを調達してきた昔の生活からはるかに遠ざかってしまった現代の生活の中でも、子ども達はやはり生活に基づいて必要な知恵を学んで身に着けないといけない。

 そんなことを考えていると、ケニアでは恵まれた生活をしている子ども達は少ないけれど、だからこそどう生きたいかを考え、人生の目標を持って大人になるんだろうなと思う。親も子ども達に家族のための手伝いなどの仕事を与え、子どもたちがこれらの仕事を通して大人になった時の準備をさせている。親は、これらの仕事を毎日子ども達に与えることが子ども達の自立の手助けになると知っているのだ。農作業の手伝い、水汲み、薪拾い、動物の世話、掃除、洗濯、そして兄弟姉妹の世話など、たくさんの仕事と学校の勉強は同じくらい大事なことなのである。

 今の日本の生活は、子ども達が「生きる力」を育てる時間と機会が少ないように思う。それでは子供たちは「生きる力」を失ったのであろうか? 私はそうは思わない。今の日本は、「生きる力」が乏しくても生きていけるという事なのだと私は思う。「生きる力」を発揮しなくても、生きることが出来る時代なのだ。

 また地域に老若男女がバランスよく存在していることも大切だと思う。ケニアの農村では、たくさんの子供たちがたくさんの大人の目に見守られながら生活している。しかし、ナイロビのような都会では、核家族化ということも既に起こってきている。

 また、子供にすべてを与えることは危険だと思う。自分で努力をして必要な物を用意しない限り、人生は何も与えてくれないことを、早くから子供は知るべきではないだろうか? これは、苦労の多い生活の中でも笑顔を絶やさない、ケニアのたくましい子供たちが私に教えてくれたことなのだ。



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